ブラジル サンパウロ出身の宮城ユキミさん

2016年08月08日

10歳の時に来日

ブラジル、サンパウロ出身。2005年、10歳の時に来日。浜松市立高等学校インターナショナルクラス、静岡文化芸術大学国際文化学科卒業。同大の卒業証書授与式では、卒業生335人を代表して謝辞を述べられました。
4月からは日本とブラジルに拠点のある物流関係の県内企業に就職。そんな宮城さんに謝辞にこめた思いをつづっていただきました。

ひらがなもカタカナもゼロから

私は日本に来るまで、日本語が全く話せませんでした。ひらがなもカタカナもゼロから覚えました。来日後、日本の公立学校、6年生に編入しました。国語と社会の授業は別の教室で日本語を学びました。
中学生になり、進路相談の時に、「ポルトガル語ももっと勉強したい」と当時の担任に伝えたら、浜松市立高等学校のインターナショナルクラスを勧めてくれました。「ここまで頑張ったなら、あなたならできる」と背中を押してくださり、高校に合格するため、必死で勉強しました。

「頑張ればできる」ことを

高校に入学し、インターナショナルクラスで自分と似たような境遇の同級生に出会いました。日本語の難しさ、理解しがたい文化、進学のことなどみんな共通の悩みがありました。
大学進学を決めたきっかけは「同じ境遇の子どもを支えたい」という思いがあったからでした。外国にルーツを持つ生徒の高校進学や大学進学はまだ低かったので、自分が大学進学を果たすことで、「頑張ればできる」ことを見せたかったです。
大学進学にあたり、受験や学費など多くの不安がありましたが、周りの方々に支えられながら、センター試験を受け、一般選抜で合格することができました。
大学では、外国にルーツを持つ子どもの学習支援に携わりました。日本語をゼロから学んだ経験を活かして、日本語教員養成課程を修了し、また模擬国連にも参加しました。

楽しい大学の4年間

2014年7月に「Festa Julina na SUAC」というイベントを企画し、当日は、ブラジル人学校の生徒を招待し、ブラジルのダンス、音楽の発表、2ヶ国語キャンパスツアーを開催し、100人以上の方が来場してくださいました。
そんな楽しい大学の4年間の最後に、卒業式で卒業生を代表して謝辞を述べる機会をいただきました。「自分にしかできない謝辞をしたい」と思い、今までの経験を語り、最後の部分では両親、先生、ブラジルコミュニティに向けて、ポルトガル語で一言述べました。
Eu gostaria de agradecer a todos que me apoiaram, principalmente os professores, amigos e família. E provar que fazer faculdade no Japão não é um sonho e sim um objetivo.
(訳:今まで私を支えてくださった皆さま、特に先生方、友人、家族に感謝を申し上げます。ともに、私のようなルーツの学生でも、日本の大学を卒業することはただの夢ではなく、達成しうる目標であることをここで証明します。)

ロールモデルでありたい

卒業後、ブラジルにも拠点を持つ静岡県の企業に就職しました。将来、ブラジルで働くことが目標です。とともに、進学や就職活動に励んでいる後輩にもどんどん情報提供をしていくロールモデルでありたいと思います。

写真は、左が宮城ユキミさん。

イメージ画像