ディオセナ・アナベルさん(フィリピンマニラ出身 50代)

2023年06月01日

ディオセナ・アナベルさん(フィリピンマニラ出身 50代)「とても責任を感じます」

富士市の国際交流ラウンジ(FILS)は、外国人市民の支援の拠点、ボランティアとの協働の拠点、多文化共生の拠点、を3つの柱として活動をしています。フィリピン出身のディオセ・アナベルさんは、ここで、毎週木曜日の17時から21時まで、主に富士市及び富士宮市に住むフィリピン人の相談に対応しています。日本人男性との結婚を機に日本に住むようになったそうです。

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相談員に就いたきっかけは何ですか

私も最初は、ここで相談にのっていただく立場でした。日本語が話せたので、ここのスタッフの仕事に興味があるならやってみたらどうかと誘われたのです。様々な問題やいろいろな人に接するこの仕事は、自分にとって情報が入り、視野が広がり、とても勉強になるのではないかと思って引き受けました。FILSが𠮷原地区に一時移転していた頃も勤務していました。またここに戻ってからは7~8年になります。

仕事の内容は何ですか

日本語が分からなくて困っている人に、日本人のスタッフと一緒に説明したり、市役所に提出する書類の翻訳をしたり、市役所が外国人向けに出している書類の翻訳をしています。生活の問題を抱えている人には何をすればいいのか、どこに行けばいいのかを教えています。

どういう問題が多いですか

コロナの時は、どうやって収入を得るかの問題、税金の問題、提出書類などでした。それ以外に、フィリピンから来たばかりの子供の中には、日本語がしゃべれないので学校に行きたくないという子がいます。その子供たちには、ここ国際交流ラウンジで日本語を勉強できるようにしてあげます。FILSが𠮷原にあった当時のことで、現在は行っていませんが、そういう子には寄り添い、一緒に登校して先生の言うことを通訳して、学校での様子を見守っていました。自分のことではないのですが、あの子は一体どうなるのかしらと物凄く心配しましたが、言葉が分からなくても友達といると次第に学校にいられるようになり、状況は次第に良くなっていきました。
問題があっても何もできないと、とても悔しいと感じますが、困っている人を助けられた時は本当に嬉しくて、やりがいを感じます。ここにいると、日本に暮らすフィリピン人が抱えている多種多様な問題が分かってきます。

相談されて日々思うことは何ですか

相談を受けて、その内容によって最初の頃はなんだか寂しくて、眠れないこともありました。でも人生には問題があり、悩みがあるのはしょうがない、というかそれは当たり前のことだと思うのですね。人生ですから、立ち向かい、取り組まなければならないチャレンジは誰にでもある。私にももちろんありますが、相談員としてできることだけはやるつもりです。ここの仕事には覚悟を持って臨んでいます。他の人の人生に関わりますから、とても責任を感じています。

日本語をどうやって覚えましたか

いつから覚えたかわかりませんが、私はしゃべることが好きで、会話をすることで身についたと思います。本で学んだことはありません。言いたいことを表現できないのは本当につらいです。みんなが笑っているのに、一人だけなぜなのかわからないのは悔しい。友達に「どうして?なに?なに?」としつこく尋ねたり、人が話をしている時に、どうやって話しているのかをよく聞いて、まねをするようにしました。カラオケで日本の歌を歌いながら、スクリーンの字幕を見て少しでも覚えようともしました。
会社では外国人の新人さんには、まず日本語でいっぱい話をする、わからない言葉は恥ずかしがらないで他の人に聞いたり家で意味を確認したりする、一日一つでも二つでも必ず言葉を覚えるようにする、とにかく本よりも話をするようにとアドバイスしています。

相談員以外の日は、何をしていますか

普段は製紙会社で働いています。 サヤウピナイというグループを作って活動もしています。「サヤウ」というのは踊りという意味で、「ピナイ」は女性を表すフィリピーナのピーナからです。ここ最近はコロナで、イベントが無く、会員も集まりにくいのですが、フィリピンの国や文化を紹介したいと思い、グループでフィリピンの踊りを練習して、国際交流フェアなど機会があると皆さんに見ていただいています。

自身の気持ちに余裕のない時でも、困っている人をなんとか助けてあげたいという彼女の思いに、心を打たれました。家族連れのフィリピン人が増える中、彼女のようにタガログ語と日本語の通訳ができて、子供たちの学校のことや病院のことなどをよくわかっている人は、ますます必要になります。

記:編集ボランティア 川島 康子