タウフィックこばやし(Taufik Kobayashi)さん

2022年11月01日

 

今現在、インドネシアのマカッサル市(首都ジャカルタから飛行機で2時間の街)で日本語を教えているタウフィックこばやしさん(以下タウフィックさん)とビデオ電話にてインタビューをしました。タウフィックさんは20年前、技能実習生として来日し浜松市で生活をしていました。

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写真上:タウフィックさん 
写真左下:一番左の方がタウフィックさん(20年前)
写真右下:後列左から2人目がタウフィックさん

 

日本で働くことを選んだ理由を教えてください。

私の母の影響で学生の時からいつか日本に行きたいと考えていました。私の母は1943年の戦争の時、日本人から日本語を学びました。母は少し日本の数字とかあいさつが出来るようになりました。たぶん、私が7歳くらいの時から母を通じてそういった日本の影響がありました。

日本の会社で働いていた時の話を教えてください。

2000年4月9日の夜、インドネシアを出発し翌日成田に着きました。最初は埼玉県にある管理団体のトレーニングセンターで、日本の文化や仕事の仕方を勉強しました。そこで1か月間訓練をし、浜松へ行きました。
会社は浜松市の南区にあり、そこでメッキ処理をする仕事をしました。仕事は残業もあり最初の1年間は残業が1日に1、2時間くらいでしたが、最後の3年目に1カ月だけ、夜中の1時の時もありました。

ところでタウフィックさんの「こばやし」という名前はどうして「こばやし」ですか。

「こばやし」は管理団体の先生の名前でした。こばやし先生は子どもがいて、旦那さんがインドネシア人でした。子どもの名前が私と同じ「タウフィック」で「タウフィックこばやし」だったのです。私はよくこばやし先生と話をしました。私が浜松の会社にいた時、自分の名前を冗談で「こばやし」と言いました。「タウフィック」だと日本の人は言いにくいから冗談を言ったのです。そしたら、工場長や社長も「こばやし」で呼んでくれるようになりました。だから今も「こばやし」としています。

静岡の人にメッセージはありますか。

今は日本に居た時に、日本語を教えてくださった先生と連絡を取りたいです。あとは、働いていた会社のこと、会社で知り合った人が今どうしているか知りたいです。

日本の技能実習に関して何か話すことはありますか。

日本で働きたいインドネシアの人はいっぱいいますよ。みんながんばって日本語を勉強しています。日本はインドネシアの経済状況と比べればまだいい。インドネシアの物価はどんどん高くなりました。公務員の給料は一回だけ上がりましたが。だからみんな外国で働きたいと考えている。技能実習生で問題を起こす人は、日本の事や言葉が分からないからでしょ。昔は日本語能力試験のN4レベルを持っていたら珍しかった。でも今はN4レベルが必要でしょ。昔はN5レベルより下でも日本に来ることができましたからね。
(※N5、N4レベルは、日本語の日常会話をある程度理解ができるレベル)

タウフィックさんは「三ケ日みかん」が好きで、いつか奥さんにも食べさせたいと言っていました。
タウフィックさん、インタビューありがとうございました。もしタウフィックさんと連絡を取りたい方は、
facebookまたはGoogleで「Taufik Kobayashi」と検索して下さい。

記:編集ボランティア 小嶋庸介