ナイフ・ユソフさん(30代) ティファニ・ケヴィンローズさん(20代) ブルネイ出身
2024年03月01日
ナイフ・ユソフさん(30代) ティファニ・ケヴィンローズさん(20代) ブルネイ出身
ブルネイは東南アジアのボルネオ島(カリマンタン島)の北部に位置する小さな国で、正式名称はブルネイ・ダルサラームといい、マレー語で「永遠に平和な国」という意味があります。面積は日本の三重県とほぼ同じで、44万人ほどの人々が暮らしています。石油、天然ガスが豊富で、とても豊かな国、イスラムの国として知られています。この国から、来日されてから5年、現在、静岡聖光学院中学高等学校の英語の先生をしていらっしゃるナイフさんと奥さんのティファニさんに、お話を伺いました。
◆ ナイフさん ◆
日本に来るきっかけは何でしたか?
高校生の時、沖縄で開かれたアジアユース人材育成プログラム(AYDPO)に参加しました。アジア各国からの高校生たちと、英語による約3週間の共同生活をして、地球規模の環境問題、貧困、ビジネス等の問題を学び合いましたが、素晴らしい体験でした。それで、イギリスの大学にも合格していたのですが日本の大学を選び、別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)に入学しました。APU卒業後、さらに、アメリカの大学院でも学びました。母国に戻った後、ブルネイのトップの銀行の教育センターで働きました。同僚や職場環境は良く、やりがいのある仕事内容ではありましたが、煩雑でストレスのたまる大変なこともあり、自分にはこの仕事が向いていないのではないかと思うようになりました。そんな折、APU時代の友達で、静岡聖光学院の先生をしていたアメリカ人が、自分は帰国するので、その後を継がないかと勧めてくれました。妻とは母親同士が知り合いだった縁で、ブルネイで結婚していて、一緒に来日しました。
静岡聖光学院の生徒たちはどうですか?
活発でフレンドリー、ベリーグッドです。マナーもいいですね。県外からの生徒も多くて、各県、各小学校の種類、家庭環境によって、入学当初は英語の学力がバラバラで、とても教えにくいですが、楽しく授業をするようにしています。帰国子女や英語のレベルの高い生徒のためには、IGCSEとA-levelというクラスがあり、海外にいるネイティブの先生の英語の授業を、生徒がオンラインで受けていますが、とてもハイレベルなので、授業について行けるようにサポートしています。
ブルネイの教育はどんなものですか?
私は、父が外交官、大使、(後に大臣)でしたのでその仕事上、諸外国で暮らし、インターナショナルの学校に通っていました。でも一般にブルネイの教育制度は、1984年に、イギリスから独立してからバイリンガル教育が導入されていて、マレー語と英語の両方で授業が実施されています。国語の時間はマレー語ですが、算数・理科・社会の授業はすべて英語で行われており、教科書も英語で書かれています。プレスクール(就学前教育)1年、初等教育6年、中等教育5年(日本の中学校と高校2年までに相当)に別れ、その後大学予備教育2年を経て大学へ進学する場合と、職業訓練校に進む場合などがあります。ブルネイ人なら、国公立は小学校から大学まで無料です。ちなみに、公立の病院も、ブルネイ人なら100円、外国人なら500円ぐらいで診療が受けられます。
日本や静岡はどうですか?
富士山がとても好きです。ストレスが溜った時、富士山を見ると気持ちが落ち着いて安心感を得ます。温泉文化にはショックでした。人前で服を脱ぐという習慣はブルネイにはないからです。人々はブルネイ人と同様、アメリカ人のようなダイレクトなコミュニケーションをしません。ブルネイ人は、とてもゆっくり歩きますが、日本人は、特に首都圏の人達は歩く速度が速いですね。
◆ ティファニさん ◆
インドネシア国籍ですが、生まれも育ちもブルネイです。日本に来てから、コロナのパンデミックになったため、余り活動ができませんでしたが、昨年から静岡聖光学院で、英語の授業のアシスタントとして働いています。和食が好きです。ブルネイの味は濃く、マイルドで優しい薄味が好きなので和食は合っています。
ラマダーンの時は、一ヶ月、夜明けから日没まで、何も口にしないのですが、日本に来た最初の年の断食はとても苦しかったです。イスラム歴によって決まるので季節が移動しますが、ブルネイの日の出と日没時間は、一年を通じておおよそ午前6時少し過ぎ、午後6時少し過ぎで、日照時間は約12時間と一定です。でも、静岡では日照時間が、季節によって10時間から約14時間半と違います。それで、最初の年は大変でした。だんだん慣れてきて、今年の3月は大丈夫です。主人はアメリカで経験済みなので、楽みたいでした。
奥さんの清楚な雰囲気と、インタビュー後、IGCSEを受ける生徒さん達に、とても知的な表情で、てきぱきと指導していたナイフさんの姿が、印象的でした。
記:編集ボランティア 川島 康子