顧 寿智さん (中国遼寧省大連出身)

2023年07月05日

顧 寿智さん (中国遼寧省大連出身)

1992年11月、来日。来日前、大連医科大学に勤めていた顧さんは、当時、研究を通して交流のあった浜松医科大学の留学生として浜松に来ました。翌年には奥さんが、2年後には息子さんも来日。30年以上を家族と一緒に日本で過ごしたいろいろな思いを話していただきました。

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来日当時を振り返ってどんなことが思い出されますか?

当時は大学以外日本人と知り合うチャンスがありませんでした。そんな時、浜松国際交流協会がホームビジットという企画で留学生に日本人と交流する機会を作ってくれました。日本人女性ふたりと私たち夫婦4人で楽しくお茶を飲みながらおしゃべりしたことを今でもよく覚えています。それを機に日本人の知り合いも増えて、日中友好協会との付き合い、ロータリークラブの奨学金援助など皆さんに助けていただきました。コロナ禍の中、今は中止されていますが、細江の国際交流会で毎年行われた「世界の料理を楽しむ会」では、その場で餃子を作り、皆さんにアツアツの餃子を食べていただきました。当時は行政も外国人との共存社会を作ろうとしていて、外国人が社会に融合しやすい環境だったのかもしれません。日本語が全然話せないまま入学した息子は担任の先生にも恵まれたし、選んだ学校が国際理解教育の指定校だったこともあり、全く困りませんでした。私たちはいろいろな面でラッキーだったと思います。

現在はどのような毎日をお過ごしですか?

実は、当初、研究生として半年、博士課程4年の留学生活を終えたら中国に帰るつもりでした。ところが教授から3年間だけ教官として手伝ってほしいといわれ、帰国を伸ばしました。ところが、その後も聖隷クリストファー大学に准教授として任用が決まり、帰国しないまま現在に至っています。結局、中国に帰らないで日本に永住しようと決心し、我が家も建てました。実は65歳で定年退職し、今は特任教授として以前と全く変わらず教鞭をとり研究もしています。とてもありがたいと思います。息子は大学卒業後、日本の企業に就職し、同僚の日本人の奥さんをもらい、孫にも恵まれました。息子は名前を言わなければ全くの日本人です(笑)。私たち夫婦は、今は仕事をしながら家庭菜園を楽しんでいます。

以前は中国からの留学生が多かったですよね?

私が在学していた頃は、浜松医科大学には50~60人の留学生がいたと思います。ほとんどが中国留学生でした。今は少ないです。以前は、日本の留学を終えて帰国するといい仕事が待っていました。大事な人材でした。でも、今は、2年留学して帰国すればその2年前からやり直さなければなりません。同級生より2年遅れてしまうのです。それが中国からの留学生が減った理由の一つだと思います。  

最後に今のお気持ちを聞かせてください。
日本での生活も31年目になりました。ここが第2の故郷です。振り返れば中国でも同じ場所で生活したのは長くて18年でしたから、ここ浜松での生活が一番長いことになります。浜松はとても住みやすい街だと思います。妻は最近、二胡を日本人から習い始めました。中国の楽器を中国人の妻が日本人から習うなんて面白いですよね。私もクラリネットを少し習っています。仕事が休みの日には庭の野菜や果樹の世話をしながら、毎日を健康に過ごしたいと思います。

 
記:編集ボランティア 高木睦子