外見はガイジンですが、中身はほとんど日本人です

2020年09月01日

天座原モハメドさん(イラン出身)ケイラスサナさん(ペルー出身)ご夫妻

言葉も文化も宗教も違うお二人が日本で知り合って、様々な壁を乗り越えながらの函南町での暮らしぶりが、1996年の本誌記事に掲載されて24年がたちました。現在は三島市にお住まいのお二人に、“その後”について伺いました。

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変わったこと① 家族

当時幼かった長女の天子(エラヘ;ペルシャ語で天使の意)さんは、薬剤師の資格を取得して4月から社会人に。現在青森で働いています。青森はすごく遠くて、ちょっと寂しいですが、3年後には希望の勤務地に異動できるので、待ち遠しいです。7年前に次女の恵明(エミリア;ケイラさんの祖母の名前をもらいました)さんが生まれ、現在小学校1年生。勉強に、バイオリンに、バレエに(今はちょっとお休み中)、サッカーに、とても活発な子です。私たちは、それなりに年をとって、それなりにおじさん、おばさんになりました。おじさんは、老眼鏡を手放せません。

変わったこと② 国籍

3年ほど前、申請から2年くらいかかりましたが、二人とも日本の国籍を取得しました。名字の表記も二人のファミリーネーム(アマサデとハラ)を合わせ、漢字で「天座原」にしました。子どもたちは、下の名前も漢字にしました。健康保険も年金も、すべて日本人と同じになって、外見はガイジンですが、中身はほとんど日本人です。

変わったこと③ 日本人

当時と比べ、日本人はずいぶんグローバルになった、つまり、海外旅行に行く人も増えたし、身の回りに外国人が増えたこともあって、昔ほど「避けて通る」人は減ったように思います。でも、ガイジンに対する差別ではないのだけれど、区別というか、「違う人」という感覚を持っている人はいますね。それと、ガイジンをひとくくりにして見る癖があると思います。ガイジンの一部が犯罪を犯したりすることもありますが、そうなると、ガイジンすべてを、怖いと思ってしまう。本当は、ひとり一人違うのですが。

将来のこと・・・ お墓をどうしよう

若い頃は、いつかは自国へもどろうと思っていましたし、年をとってきた最近も、ふるさとをすごく懐かしく思います。でも、せっかく国籍も取得して日本の色々な制度の中で生きていけるのに、それを捨てて自国に帰るのもどうかと思っています。また、子どもたちのことを考えれば、日本にずっと住むのが一番なのでしょう。日本の生活は快適ですし、近隣の人ともうまくいっているし、住めば都です。それに、帰るって、イランに、それともペルーに? たまにどちらの国に戻っても、道路も建物もどんどん変わってしまっていて、誰かに付いていてもらえないと街中を歩くことも、運転も出来ない状態です。三島や周辺では、すいすい走れるのに。
先日、お墓をどうしようかという話になって、ペルーにせよ、イランにせよ、そんな遠くまで子どもたちがお墓参りに来てくれないし、やっぱり日本だね、ということになりました。それほど深く考えているわけではありませんが、日本での生活をベースに、イランとペルーを時々訪問するというのが、現実的だと思っています。


30分くらいのインタビューのつもりでご自宅を訪問しましたが、モハメドさんが友人を訪ねて初めて日本に遊びに来て、そのまま日本に居着いてしまった話や、三島の前にいた埼玉県で耳で覚えた埼玉弁が、日本語学校に行ってちゃんとした日本語を習っていたケイラさんに通じなかった話とか、この紙面ではとても書ききれないほどの昔の思い出話を伺っているうちに、あっという間に2時間半もの長時間、お邪魔してしまいました。すっかり日本人になった、お二人の暖かい人柄に触れて、とてもハッピーで楽しいひとときでした。

記:編集ボランティア 金子 諭