ネパールの人は日本人に似ている?

2023年08月01日

ラザウレ・サンディープさん

コロナが猛威を振るった3年間、静岡県内の在住外国人は減少を続けていましたが、昨年6月の時点で増加に転じ、2019年以来3年ぶりに10万人を超えました。ベトナム人、フィリピン人が以前と同様増加する中で、ネパール人、インドネシア人の顕著な増加が目立ちます。
今回は、静岡市八幡で、ネパール・インド家庭料理「ナマステ・ニッポン」を経営するラザウレ・サンディープさんに、ネパールの人々がなぜ静岡を選び、住むのか尋ねてみました。

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ラザウレさん、いつ静岡に来られたのですか?

2006年留学生として来日し、長野県で日本語を勉強しました。日本の学校を卒業し日本で働くことを目指していましたから、日本語学校の先生の紹介で、2008年静岡産業大学(藤枝キャンパス)に入学しました。大学を卒業すると、静岡市音羽町でレストランを開業しました。今から12年前、2011年ですね。

大学を卒業してすぐにレストランを開業したのですね!食品衛生責任者の資格取得や保健所、消防署などとの調整など、日本人でも大変な手続きをよく一人でやりましたね。

大学が支援してくれたのです。大学の先生や担当者がいつでも相談に乗ってくれました。本当にいろんな人がレストラン開業を支援してくれたのです。

ここ数年、ネパールからたくさんの人が静岡に来ています。どうして、ネパールの人は静岡に来るのだと思いますか。

私はカトマンズ出身ですが、日本行きを決心した当時のカトマンズでは、仕事が少なかったですね。日本に行けば仕事があると聞いていたから、日本に行って日本語を学んで、卒業したら専門学校か大学へ行って就職する道を選びました。私の時は何でもかんでも一人でやりましたが、たくさんのネパール人が同じような道を歩んだ結果、いろんな情報がネパールの若者に届き、静岡に来る人が増えたのだと思います。

勉強の他に、学費・生活費を稼ぐためにも、アルバイトもしなければならなかったと思います。よく頑張りましたね。

何とかなりますよ。ネパール人にとっては当たり前のことだと思います。自分の望みを叶えるためには努力しなければならない、努力を続ければ少しずつ道は開けると考えるネパール人が大部分ではないでしょうか。でも、努力してもできなかった人、努力が出来なかった人もいましたね。悲しいけど帰国した人もいました。

ネパールの人が増えているのですが、仕事や生活の困ったことを窓口などに相談に来る人は少ないと聞いています。どうしてでしょうか。

ネパール人はわからないことや困ったことがある時、家族や知り合いを頼り、助けてもらいます。そのためではないでしょうか。最近新しい人に会うことが多くなりましたが、新しい人を囲むように人が集まり支援され支援しています。住みやすい静岡も外国ですから、より一層結束が強まる感じがします。

知り合いや兄弟にはよく会うのですか

お互いに仕事がありますから、いつも会うというわけにはいきません。でも、ネパール人にとって日本のお盆のようなダサイン大祭が、今年10月、静岡でも3年ぶりに開催されると聞いています。ネパールにいるときのように、家族や兄弟、知人と会えるでしょうね。楽しみです。静岡の皆さんもおいでください。

ラザウレさんは開店前の忙しい時間を割いてインタビューに応じてくれました。ラザウレさんは奥さんとお子さん二人の4人家族ですが、上のお子さんはおじいさん、おばあさんと一緒にカトマンズに住んでいます。「一家が離れ離れに暮らすのは悲しい。上の子は残ってほしい」と二人に懇願され、その望みどおりにしたそうです。ネパールの人々は、家族愛が深く結束力が強いと言われます。ネパールの人の家族愛はこのような形で現れるのですね。ちょっと前まで日本人が持ち、今薄れたと言われる家族愛と似ていますか?
10月3年ぶりに開催されるダサイン大祭の日程や会場は、7月中にも決まるそうです。情報誌等でお知らせしますので皆さんとお出かけください。

記 編集ボランティア 杉山 滋敏