チン ティ ヒエンさん (ベトナム出身)

2022年09月05日

 

前回8月号では、大分県出身の津﨑昌弘さんと、ベトナム出身のヒエンさんがベトナムで出会ってから、2009年現地で結婚式を挙げるまでを紹介しました。翌年、ヒエンさんは長男を出産し、2012年、工場(袋井市)に戻ることになった昌弘さんと共に来日し、家族3人袋井市での新生活が始まりました。

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日本に住んで10年が経ちました

ヒエンさん:日本に来てから、日本語を一生懸命勉強して覚えました。まだアクセントがおかしい言葉もありますが、会話で困ることはありません。
お料理はお母さんに教えてもらいました。今では、すき焼き・肉じゃが・炊き込みご飯・餃子等々、全部自分で作れるようになりました。
私はみんなのことが大好きです。相手が私のことをどう思っているかは問題じゃない…常にそう思って暮らしてきました。だから、主人の両親とか自分の両親という考えではなく、どちらも自分の両親だと思っています。
大分の両親にも、ベトナムの両親にも「元気ですか?」と毎日電話しています。2人の子どもたちも、電話で楽しそうに話をしています。

敏昭さん(昌弘さんの父)
:ベトナム人は見えないところで努力すると聞いていたのですが、ヒエンさんはまさにその通り。文化や習慣の違いを自力で乗り越え、日本語を学び、周りの人ともいい人間関係を築きながら日本の生活にうまく溶け込んでいると思います。ベトナムの実家を新築した時は、建設費を出して自分たちの帰省時の為の部屋を用意したようです。2人の堅実な暮らしぶりが伝わってきました。来年コロナ禍が落ち着いたら旧正月の2月に帰省し、みんなに会いたいと言っています。

泉さん(昌弘さんの母) 
:ベトナムとの食文化の違いからでしょうか、最初の頃、ヒエンさんは(好き嫌いが多くて)→日本の食べ物になじめず、生卵・刺身・とろろなどの生ものは味見さえ出来きないので、栄養の偏りが気になっていました。先ずは日本食に慣れてもらうために、味噌汁・天ぷら・唐揚げ・などを一緒に作りながら教えていったらすぐに覚えて、今ではとても料理上手になりました。身体の抵抗力もついたようなので、もう心配はしていません。
何事も真面目に努力していく姿には、いつも感心させられます。
私たちは大分に住んでいるので、ヒエンさんの住む袋井市とは遠く離れていますが、電話で私たちの体調を気遣ってくれていますし、孫たちとも電話でいっぱい話しが出来るので本当に有難いです。


他にも何かエピソードがありますか

泉さん:ベトナムの人は、何でもすぐに洗濯をする習慣があるのには驚きました。
ブランド品のマフラーを贈った時、気になったので直ぐに電話をしたら、既にもう洗濯をした後でした。手洗いだったので良かったですが。

ヒエンさん:ベトナムのお父さんは、背広上下も、着た後直ぐに洗濯をしていました。
アイロン掛けの習慣がないので、ハンガーにつるして自然乾燥です。

敏昭さん:ベトナム人は、お風呂はシャワーだけで済ませるので、浴槽がない生活だったからでしょうか、ヒエンさんが我が家に来た時、風呂を日向水くらいの湯加減にしていたのには驚きました。ヒエンさんも、息子や私たちも、ベトナムと日本の文化や生活習慣の違いに驚き、戸惑いながらも、お互いに順応する努力を重ねてきたからこそ、いい関係を作ってこられたのだと思っています。

1時間余りの取材を終えた帰り際、泉さんが「今度の日曜日に孫の運動会があるので、それを見てから大分に戻ります」と、話してくれました。後姿にその言葉を重ねながら3人を見送りました。今日の取材のことも、きっと今夜の食卓で話題になることでしょう。

記:編集ボランティア 齊藤淑子