ヴォ・ティ・ホンさん(24歳 )  ベトナム出身

2022年05月02日

 

ヴォ・ティ・ホンさんは、JETプログラムのCIR(国際交流員)として、現在静岡県庁の多文化共生課で働いています。資料をベトナム語に翻訳したり、イベントで通訳をしたり、「世界の文化と暮らし出前教室」事業では、小中高校 に行き、ベトナムの社会や文化を紹介し、仕事にとてもやりがいを感じています。
またSNS発信が得意でユーチューバーとしても活躍していて、自身が日本語能力試験に合格した経験や、勉強の仕方を発信しています。これからは日本での生活も紹介していきたいそうです。

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「必ず日本に戻る!」と自分自身に約束して

 2018年、小沢一郎衆議院議員主催の「日越交流プロジェクト」で、先生2名と私を含む10名 のベトナムの学生が一週間日本に滞在する機会を得ました。ベトナムの学生を日本に招待し、日本の学生との交流や、日本を理解してもらうという企画です。その一週間で日本が大好きになり、「必ず日本にもどる!」と硬く決心し、今ここにいます。去年の11月、少しコロナが下火になった時、やっと日本に来ることができました。

「あいうえお」から必死に勉強しました

 もともと外国語が好きで中学と高校は英語学習に没頭し、当然大学でも英語を中心として学ぶつもりでいましたが、先生から英語はもうみんなが勉強しているのでいい仕事は少ないとアドバイスされて、新しい言語に挑戦することにしました。当時ダナン外国語大学では日本語学科の合格点数が一番高かったので、ここで勉強すれば将来よい仕事が見つかるかもしれないと思い、目指すことに決めました。その時まで、私は日本のことも日本語も全くといっていいほど知りませんでした。入学当初、とても困りました。私の田舎では第2言語は英語だけでしたが、ダナンのような大都市では中、高校生からフランス語や日本語などいろいろな言語が選択できるのです。大学に入学した時点で、ダナンにある高校の卒業生たちが、先生ともうべらべらと日本語で話しているのを見て、とてもショックでした。私は「あいうえお」も分からなかったのですから。何か大変なことが私に起っているなと感じ、必死に勉強に打ち込みました。猛勉強の甲斐あって一年生の一学期の試験では日本語学科の一番になりました。そこからは自信を持って勉強をし続け、日本語学科を首席で卒業しました。

日本での生活は最高です

 ベトナムでは日本人はちょっと冷たく、日本で仕事をするとストレスがすごく溜まるよと言われていましたが、ここでは皆さんがとても親切で優しいので。ストレスはありません。日本の職場は、朝の始まりも、帰りも必ずきちっと挨拶を交わし、その挨拶は職場を生き生きと活動的にしていると感じています。ベトナムと日本とで働き方や人とのコミュニケーションの取り方、生活上のマナーに違いがあるとしても、私は日本にいる以上日本のルールを守らなくてはいけないと思っていますから、それを嫌だと思うことはありません。
 スーパーでは店員さんが、自分の仕事に忙しい最中でも、物を尋ねると親切に捜してくれて、サービスが行き届いていることに感心しました。それと自転車通勤していますが、車の運転者が必ず道を譲ってくれます。日本人は当たり前だと思うかもしれませんが、外国人は感動しますよ。 

同じ地球人として仲よくしてください

 同じ国に住んでいるので、外国人としてではなくて、同じ日本人同士みたいな隣人として、仲よくしたり、付き合ったりすることができれば嬉しいです。ベトナム人の犯罪のニュースを聞き、ベトナム人と接する機会のない日本人が、ベトナム人に悪いイメージを持ってしまうのが残念です。大多数の人はまじめに仕事をしていますので。ベトナム人をすぐに嫌いにならないでくださいと、伝えたいですね。
 外国人に優しい環境を作ってもらえると助かります。例えばいろいろな手続きが外国人には難しいと感じられます。インターネットで諸手続きをするとき、日本では名前と名字の二つの欄がありますが、私のようにミドルネームのある人は戸惑います。無理に二つに分けて書き込みますが、正確にはそれは本当の名前ではありません。そして、ケータイの契約制度がちがって手続きに時間がかかるのも不便に思いました。

後続者のためにも、活躍するつもりです

 私は静岡県で初めてのベトナム人のCIR(国際交流員)です。ですからこれから一生懸命に仕事に励んで、次に続くベトナム人も仕事ができるように、努力しようと思っています。私のミッションは、静岡県に住んでいるキーパーソンを見つけて、その人たちと繋がり、より広く多くのベトナム人達と接することができるようにしないといけないと思っています。日本にいるベトナム人の手伝いができて、さらにべトナムと日本の関係をよくするために貢献できたらいいなと思っています。

記:編集ボランティア 川島康子