伊東クスマさん(インドネシア出身)

2022年04月01日

 

今回は、昨年11月草薙の駅前に開店したインドネシア・レストラン”KITA HALALMART(キタ ハラルマート)”を紹介します。レストランの名前のとおり、イスラム法に従った食事”ハラール”を提供するお店です。草薙にはインドネシアの留学生が通う静岡県立大学がありますが、インドネシアの人たちが多く住む地域ではありません。
なぜ草薙に開店したのか、オーナーはどんな人なのか、レストランを訪ね伺ってみました。

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オーナーはインドネシア・バンドン出身“伊東クスマ”さんです。レストランは駅前商店街の2階の1室の小ぶりなお店で、草薙駅から1分とかかりません。奥さんが作るハラール料理が楽しめるほか、インドネシアの食材やスナック、調味料、飲み物などを買うことができます。

なぜ、草薙で開店したのですか?

「はじめは、用宗にある“モスク”周辺での開店を考えていました。モスクにお祈りに来る人が使ってくれるだろうと考えたのです。でも気にいる物件がなかなか見つからず、決めきれないとき、草薙に来る機会がありました。駅前ロータリーや県立大学に向かう坂道、洒落た商店街の雰囲気が気に入りました。妻も気に入ってくれたのでここにしました。」

コロナ禍の中、なぜ、レストラン経営を始めたのですか?

「もちろん私と妻の生活を維持するためですが、仕事が一区切りついたことと、最近増えているインドネシア人が集まり、情報交換や交流の場になるようなお店をやってみたかったのです。」

レストラン経営の前にはどんなお仕事をしていたのですか?

「本当にいろんな経験をし、仕事をしました。日本に初めて来たのは1982年です。日本語を学ぶ留学生として来ました。1985年留学を終えて帰国するのですが、当時の若者と同じように日本企業の工場に勤めました。でも、その当時から、単なる通訳者ではなく、いろんな現場や職場で実際に役立つ通訳者になりたいと思っていました。そのため、1994年インドネシアで発電所を建設する丸紅の社員となるまで、日本のOJTや研修制度を利用して、2度来日し日本の製造業を学び、現場で通用する日本語を学びました。
この経験がインドネシア人2000名以上、日本人90名で、10年にわたり取り組んだ発電所建設プロジェクトで活きました。私は、プロジェクト本部のNO.2となり、現地職員の管理を担いました。丸紅社員1名と私で始め、現地職員を採用し、発電所を建設し、稼働させ、現地採用職員が去り、日本人職員が帰国するのを最後まで見送りました。私の誇りです。」
「プロジェクト終了の時、上司は私へのお礼だと言い、私たち家族の日本永住を支援してくれました。そして、2007年家族とともに来日し、浜松での生活が始まりました。その後は、研修生や技能実習生を受け入れる監理組合で働きました。」

留学生として日本に来日し40年が経ちました。何か思うところはありますか?

「40年の間、現場で通訳者・管理者として、技術的なものから心構えにまでの日本のモノづくりを、インドネシア人に伝えてきたのだなと思います。インドネシア人と日本人が力を合わせる製造や建設の現場では、それぞれの分野に通じた通訳が必要です。どのような現場でも役割を果たせる通訳者を目指して、新しい分野での仕事にチャレンジしてきた40年だったなと思います。」
「技術を教えることは難しくないのです。勉強し努力すれば教えることも伝えることもできますから。でも、人を育てることは難しいですね。この頃はそう思います。少しずつ努力して知識や能力を高めて行く姿勢や、現場が上手く動くようにいろんなことに気を配るとか、そういうことを教えてもできる人とできない人がいます。日本人も同じですか?」
「留学生の頃、アパートの近くのお爺さんやお婆さんが「おはよう!」「お帰り!」とよく声をかけてくれました。励まされましたね。外国人が増えたせいなのでしょうか。最近は少し警戒されているなと感じる時があります。親切な日本人は変わっていくのでしょうか。心配ですね。」

インドネシアに立地する日本企業は2020年1489社に達しています。数えきれないほどの”伊東クスマ”さんが、インドネシアと日本を結ぶ絆を縒ってきたのだと思います。

記:ボランティア 杉山 滋敏