ロシア・ハバロフスク出身 中野エレーナさん

2019年10月24日

中野エレーナさん

袋井市内に住む中野エレーナさんは、ロシア・ハバロフスク出身。
16年前、日本人のご主人との結婚を機に来日しました。言葉も生活習慣も全く分からない中、義父母との同居、2人の子どもの子育てに奮闘し、その間には、子供会やPTA役員を務めるまでになりました。今ではすっかり日本の家族、地域の人たちとの暮らしにも馴染んで、来日したばかりの頃の苦労を笑って話せるようになったと言います。
現在、袋井市内のレストラン【和膳洋菜・みすとらる】で、日々テキパキと接客に励むエレーナさんに、来日した当時から今に至る迄の日々を振り返っていただきました。

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結婚を機に日本へ

16年前、私はハバロフスクの会社で働いていました。日本から出張でハバロフスクに来ていた主人とは、通訳の人と一緒に行ったレストランで出会い、半年ぐらい経ってから結婚を決めました。結婚式は日本で挙げました。初めての日本で、いきなり大勢の家族との暮らしには戸惑いやびっくりすることも多かったです。市内にロシア人は私1人しかいないし、日本語が分からないから会話がスムーズに出来ないし…周りの景色は、生まれ育った場所と比べると、とても静かでのどかな田舎だなと思いました。

日々の暮らし&子育てを経て

毎日の生活の中で「おはようございます・こんにちは・ありがとう」等の挨拶を覚え、義母からは味噌汁や肉じゃがなどの日本料理を教わり、市で開催される日本語教室にも通いながら段々と日本の生活習慣に慣れていきました。

子どもが生まれたことで家族との絆が一段と深まり、私の行動範囲も広がりました。
その頃にはまだ大きいおばあちゃんもいて、2人の子どもをとても可愛がってくれました。毎朝子どもの顔を見ながら「おはよ~!元気?」と声を掛けてくれた事が本当に嬉しかったです。そういう会話の中で自然と日本語を覚えていきました。子どもを連れて散歩に出た時には、出会った人が笑顔で話しかけてくれたお蔭で友達も沢山出来ました。

子ども達が幼稚園・小学校と進んで時間的に余裕が出来た頃、家でジイジ・バアバ(義父母の事を今ではそう呼んでいます)がやっていた内職の手伝いをした時期もありますが、7年前、【みすとらる】のマダムに声をかけていただいてこの仕事に就きました。
仕事をしていて分からない事があったら、「教えて下さい」と、その場ですぐに聞くように心がけています。

今、関心があること

今年の秋には、地元のエコパスタジアムでラグビーワールドカップの試合があります。
10月9日はスコットランドとロシアの対戦だから、ロシアから観戦に来る人も大勢いるでしょうね。
「ホームステイの受け入れを申し込んでみたらどう?」と、ジイジが言ってくれたので、今考え中です。多分今も袋井市内に住んでいるロシア人は私1人だけだと思うので、ロシア語でいっぱい会話が出来るチャンスかも…そう考えるとワクワクしてきます。


記:編集ボランティア 齊藤 淑子