静岡県の企業で働く留学生OB・OGと情報誌ボランティア編集委員の懇談会(前半)

2019年08月26日

 

少子高齢化が進行し、静岡も日本も空前の人手不足です。政府は入国管理法の改正により、働き手としての外国人の受け入れを拡大し、この新たな時代に対応しようとしています。
企業の人手不足倒産が顕著になる現状、他に先立ち、優秀な人材を海外から惹きつける魅力・力を培うことは、企業や経済界の生き残りのためだけでなく、グローバルな時代に対応した豊かな地域を築くためにも必要だと思います。

今回は静岡大学を卒業し静岡県の企業で働く留学生OB・OGの4名を編集員との懇談会に招き、彼らがなぜ日本を目指し、なぜ静岡の大学で学び、静岡の企業で働くのか、さらにアジアの青年を静岡に惹きつけるためには何が必要なのかを聞きました。この概要を2回にわたってお伝えします。

留学生OB・OG4名は静岡大学を卒業し、県内の企業に就職し、将来を嘱望される優秀な若者です。
ジョシア・セティアンさん(Joshia Setiawan)とトリフェナ ダマリスさん(Trifena Damaris)は兄妹でインドネシア出身、それぞれソニーグローバルマニュファクチャリング&オペレーションズ株式会社とヤマハ発動機株式会社勤務、エーニンプィンアゥンさん(Aye Hnin Pwint Aung)はミャンマー出身・スズキ株式会社勤務、そん せいさん (孫 正)は中国出身・株式会社TOKAIコミュニケーションズ勤務です。

なぜ日本を目指したのですか?

国も異なり生活環境も異なる青年が日本・静岡を目指す理由は様々ですが、日本の優れた工業製品やポップカルチャーの強い影響が感じられるとともに、万全でない環境の中で希望を貫こうとする強い意志が感じられます。

(ジョシアさん)

小さなころから日本のアニメや歌などポップカルチャーに引かれていました。また、身の回りにある日本の製品や技術の優秀さは皆が知っていました。こんなことから、日本に関心を持ち自分の将来を日本と結びつけたのだと思います。
高校2年から自力で日本語の勉強を始めました。インドネシアでは英語以外の言語を選んだ場合、学校の支援は無く、全て自力でやらなくてはなりません。そしてジャカルタで開催された静岡大学のABP(アジア・ブリッジ・プログラム:留学生招聘プログラム)に巡り合い、高校3年の時応募し合格しました。この時インドネシア大学を初め数校の受験に成功していましたが、コンピュータやソフトウェアを専攻したいという希望にマッチした静岡大学工学部を選んだわけです。

(トリフェナさん)
日本の製品は高い技術を持っていて、長持ちで面白いものもたくさんあり、日本人は本当に創造的な人々と考えられます。そのため、私もそういう技術や考え方などを勉強したいので、日本に留学しました。日本を目指し日本語の勉強を始めた兄の影響を受けたのかもしれません。兄と同じように静岡大学のABPに応募し、合格し、静岡に来ました。

(エーニンさん)
優れた技術を持ち質の高い工業製品や電化製品を作る日本に関心を持ちました。アジアの先進国ですから、将来日本に関わって働きたいと思っていました。そこで国立ヤンゴン外国語大学に進学し、日本語を専攻しました。その時の先生が静岡インターナショナルスクールを紹介してくれたので、静岡に来て日本語を更に学び、卒業後静岡大学に入学したのです。

(孫さん)
中国吉林省の生まれです。大学3年生まで日本で働くことなど考えていませんでした。大学4年生になって「就職どうしようか」と考えているときに、日本に住む叔父さんが「日本で働いたらどうか」と提案してくれて日本に来ることになりました。日本に来て日本語学校に学び、卒業後日本の大学を受けたのですが、ほとんどの大学受験に失敗したのち、一番ランクの高い静岡大学に受かりました。不思議ですね。

静岡の生活は気に入りましたか?

活力あふれ自然豊かなアジアの留学生から見える静岡の魅力は、私たちがあまり意識しないところにあるようです。

(ジョシアさん)

大都市のジャカルタで育ったので、「田舎では困るな」と思っていたのですが、静岡は都会でしたね。コンビニが少し少ないような気がしますが。ただ、バスや電車の本数が少ないと思います。自転車を多用する留学生にとっては雨の日など特に困ります。

(孫さん)
静岡大学に通ううちに静岡が好きになり、静岡に住むために静岡の企業に入社しました。静岡が好きになった理由を考えてみると、きれいな富士山でもないし、静岡の人が自慢する徳川さんでもないですね。静岡の人だと思います。ひとが優しいんです。

(エーニンさん)
ミャンマーの街は人通りが多くてにぎやかなんですが、静岡は通りを歩く人は少なく、最初は怖くて寂しかったです。そんな時、周りの人に助けられ、本当に私の力になりました。アルバイト先の店長さんは優しくしてくれたし、知り合ったおばあちゃんは、冬用の服を持たない私のために、温かい洋服を持ってきてくれたのです。静岡は私の第二の故郷ですね。

次回は彼らが活躍する勤め先についてのお話です。

記:編集ボランティア 杉山滋敏、池田昌弘、川島康子、邑松亨子

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