昔と今の藤枝 生活

2020年04月01日

エレイン 北川さん

30年以上前に来日して、ずっと藤枝市で暮らしている私ですが、昔と今と生活は変化した部分と、変化しない部分とあります。

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来日したころは日本語も儘ならなくて、日本の歌で、言葉を学習しました。また少林寺拳法を習ったり、華道を楽しんだりしました。日本人と結婚すると、働いて収入を得てはいけないというルールがあったので、日本文化の勉強をしていました。
生活は楽ではありませんでしたが、つらいと思ったことはありませんでした。唯一カルチャーショックを受けたのは、冬は極めて寒いのだということが分かったことです。あまりの寒さで、来た当時は体を丸めすぎて、体全体が、凝り固まってしまったことです。

ここで暮らし始めて、隣の日本人の親切さ、地域の人々が、私を快く受け入れてくださって、私を家族のようにやさしく接してくれました。市内で転居しても、どこの地域でも親切な人々に救われました。地区会費を払うと、回覧板が回ってきます。それが私には貴重な情報源でした。公民館ではいろいろな集まり、イベントがあります。それらも私が地域に密着して生活するのに役立ちました。30数年間ここで暮らしを続けていくことができるのも、積極的に地域情報に接していたからかもしれません。

話を元に戻しますが、その後子育てをしながら、自立の道を選び、塾の英語クラスを手伝うようになり、段々と英語講師の生活に入っていきました。自分で英語教室を持つようになり、生徒さんも増え、必死で毎日を過ごしましたが、それは今も変わりありません。

国際交流の会を作り、友達や英語クラスの生徒さんたちも会を盛り上げてくれて、20年くらい続いています。楽しいイベントもしますが、外国籍の家族の生活していくうえで地域との橋渡しなどもしています。困った人を見るとすぐに何かお手伝いをしたくなってしまいます。
ですので、外国籍の人が病気になれば、病院に一緒に行ったり、困ったことの相談にも乗ってあげます。

お友達もたくさんいますが、長くお付き合いしている人もいれば、新しくお友達になったり、疎遠になってしまったりする場合もあります。友達は宝物だと思っています。

藤枝は大好きな地域です。昔のままである部分や新しい部分もあり、食べ物屋さんも、おしゃれになってきたと思います。でもまだ自然も豊かで、古いしきたりも大事にしているように見受けます。私の故郷と似ています。私が来た当時の田んぼがまだ開発されずにそのままあるということは貴重なことと考えます。なんでも都会化するのがいいとは思いません。

昔と変わったことは外国人が増えたということでしょうか。英語教室も増え、外国籍の男性が、日本女性と結婚して、地方に住み始めたからでしょう。これからはますます世界の国々から、地方に定着するようになるかもしれませんね。どんな国の人たちであれ、互いに認め合って、敬意を払えば、うまく生活していかれると思います。

将来を考えますと、どうなるかわかりませんが、自分を強く持ち、毎日毎日を大切に、感謝して、ここで暮らしていきたいと思っています。
 

記:編集ボランティア 邑松 亨子