67歳からの語学留学

2017年12月10日

インドネシアへの留学

古希を迎えるまでの3年間インドネシアのバンドン市の国立大学の語学コースで世界各国、日本各地の若者に交じり単身の留学生生活を送りました。
それまでは仕事関係でインドネシア語習得の必要性など皆無でした。来日したインドネシア留学生との意思疎通も、彼らの留学目的が日本語習得だったから理由にはなりませんでした。後から聞くと、妻を日本に残して出かけた私に友人達は、海外逃亡か?熟年離婚などと噂をしていました。 

入学資格と手続きについて

外国人の為のインドネシア語コースの入学資格は高卒以上ですが、提携大学からの学生には単位互換制度もあり手続きも簡単だったようです。
入学手続きを個人で行う場合は、手続きが煩瑣で書類の取り寄せを行い、公的機関の書類作成など、三カ月以上かかるので留学経験者か留学紹介業者に依頼する方が早くて確実です
私の場合はインドネシアの大学への入学許可書は日本留学を終えて帰国していたインドネシア学生に頼みました。日本では私が学生ビザの取得その他の用件で、東京のインドネシア大使館へ必要書類を入手するため、何度か足を運びました。経費はかかっても信用有る留学紹介業者や留学経験者の助言指導を受けるのが安全です。

学習内容などについて

授業時間は、月から金曜日8時30分から11時45分までです。
【クラス】初級から上級までの4クラス編成、10名内外 
【科目】読解、会話、語彙、文法の基礎から作文、文学、時事問題、討論、インドネシア文化
【経費】授業料年額6万円
【生活費】トータル月額5万円で十分でした
【下宿代】高熱水費含み月額4000円位から
【食費】月額2万円位(贅沢な外食含む)
【雑費】若い留学生と同じように国内旅行
【買物、電話代】20,000円位
【その他】午後と土日は全く自由ですので少しずつ行動範囲、交友範囲をひろげました。
クラスの若い仲間との小旅行、温泉めぐりボーリングなど(日本人の駐在員とゴルフ)などを楽しみました。

家内や日本の知人とはネットや携帯で連絡は密にできたので、日本の情報不足もなく寂寥感は一切感じませんでした。
授業の担任のインドネシア人教師は皆日本の大学院の留学経験者で中途半端な日本人の常識以上の学識で、文学、能、歌舞伎など豊富な知識の持ち主で、教室外では親切に自宅に招くなど大人同士の交流は今も続いています。

インドネシア留学を終えて

実は私がインドネシア語(国)を選んだ本当の理由は留学前に何回か訪れた時の強烈な印象であった。それはインドネシアの社会が昭和時代の日本と同じ大家族と濃密な親類付き合い、年長者の尊重、街角に多数の物売りの声、一般家庭にもお手伝いさんがいることなどでした。
それは子供の頃の日本にタイムスリップしたかの感を与え、私の強い懐古趣味にインパクトを与えたのであり暖かい人情とともに3年間の留学期間は、日本にいるより居心地がいいものでした。歴史上からも大東亜戦争時の日本軍の落下傘部隊降下、植民地支配のオランダを追放した日本、戦後は旧宗主国とのインドネシアの独立戦争を残留日本兵が協力したエピソード、ブンガワンソロ、ジャガタラお春の哀史、社会科でのバンドン会議、デビ夫人など、その社会に触れたことは語学学習よりも得たものは多かったです。
インドネシアの友とのその後の国際交流は、退職後の私の人生を彩り豊かに活気づけるものとなりました。

記:安藤 五郎